2024年11月21日 (木)

我がiPhone&iPad遍歴

保護フィルム貼りでしくった16ProMaxだけど時間かけて気泡抜き作業を施し今は95点レベルの仕上がり具合。市販の気泡が入り難いフィルムならこんな苦労せずに済むんだがELECOMのプロテクターに付属してるフィルムは気泡が入り易いんだよね。取り敢えず綺麗に仕上がったから気分は上々。さすがに全裸は寒いので着衣のま風呂場で作業したけどまあまあ上手くいった。

で、備忘録的に我がiPhone遍歴を書き記しておく。

iPhone 5(2013/02)
iPhone 6 Plus(2014/11)
iPhone 6s Plus(2016/01)
iPhone 11 ProMax 32GB(2019/11)
iPhone 16 ProMax 256GB(2024/11)

新種が出れば即乗り換えってタイプじゃないから11年でこれだけ。先代の11ProMaxが一番長いね。次点で6sPlusだけどこういう事情で全損交換してるから実働は2年足らず。

ついでにiPadも。

iPad Wi-Fi 32GB(2010/07)
iPad Air Wi-Fi 32GB(2014/01)
iPad Pro 第二世代 2020年春モデル(2020/10)

乗りで買った初代iPadはほとんど使う機会がなく半年足らずで手放してしまった。その後、通信環境が向上したりBDレコーダーにお出かけ転送機能が加わったりサブスクが台頭したりで存在意義がグワッ!と上昇。それまでポータブルディスクプレイヤーを愛用してたけど今や完全に過去の物だな(と言いつつSONY BDP-SX910を予備機含め今も三台所有してる事は白状しておく)。

iPhoneもiPadも非常に使えるツールである事に疑いの余地ないけど難点は回転が速過ぎる事。それでも長く使い続ける事が出来れば問題ないんだが10年前に買ったiPad Airなんか最新OSに対応してないから現役状態のまま死蔵を余儀なくされてる。この辺がオールドタイプ的に納得いかん。iPhoneで7-X、12-15を端折ってるのもささやかな抵抗って感じ。

そんな訳で16ProMaxも壊れない限り相当引っ張りますよ。何事もなければ次回の機種変は20とか21ですかね。

2024年11月20日 (水)

iPhone 16 Pro Max!!

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いやあ~、高かったッス。ワンランク下げて16Plusにしておこうかとも思ったんだけど先代の11ProMaxをバッテリー交換して約5年引っ張ったからここで贅沢するのもありかなと思い奮発してしまった。但し容量は256GBにとどめた・・つーか512GBだの1TBだの要らんて。

別に11が不調に陥ったわけじゃなくバッテリーもさほどくたびれてないからもう少し引っ張る事は可能だったけどELECOMのプロテクターが経年劣化で崩れてきたのと、日々愛用してるBoseのワイヤレスイヤホンとの相性が悪くなり音がちょいちょい途切れるのがストレスで限界近いかもと思ったのと、最近はカメラとして活用する機会が多いから飛躍的に進歩したというカメラ機能を堪能したくなったってのが機種変に踏み切った理由ですか。だから自分的にはちょっと高いデジカメ買っちゃったみたいな感覚。

それにしても高いよなぁ。デスクトップやノートPC含め俺が今までに購入したPC端末の最高額ですわ。その分すげー優れ物だろうから良い買い物したと思うようにしてるけど今のところ11と比較してビックリする程の差異は体感出来ず。取り敢えず嬉しかった事と言えばビックカメラのポイントと楽天ポイント合わせて約5000p稼げた事ぐらい。その数10倍の金が飛んでるけどね。

でもまあ、これもまたブッ壊れない限りバッテリー交換しつつ4-5年引っ張るつもりだから一時的な出費に過ぎないと思うようにしてる。しかしこれの購入費と映ちゃん号の整備費で冬のボーナスは完全に吹き飛んだ。とは言え昔は同額の金をパチンコやトレカに注ぎ込んでたからそれに比べりゃ真っ当な金の使い方ですよ。

【追記】
ちなみに保護フィルム貼り失敗して気泡だらけ。今の季節,風呂場での全裸作業はキツくてなぁ・・

2024年11月13日 (水)

あこがれの昭島チャルメラ移動ラーメン

今や絶滅危惧種の屋台ラーメンが自宅からほど近い五日市街道に出没するという事実を匿名掲示板で知ったのが2022年5月の話。それからweb情報を漁り、毎週水曜の夜に昭島の住宅地で食えるという情報を掴んだものの場所を特定するには至らず、気が向けば夜に車を出して昭島・中神あたりを探索する日々を送ったものの全く出会えず、去年にはJR青梅線中神駅南口での目撃情報を得てそちらも見て回ったけどやはり出会う事はなかった。

基本夜は飲んだくれてるのと、連日連夜の探索で出会えず心折れて結局俺とは縁がなかったんだなと諦めの境地だったのだが数日前久々に 夜鳴きラーメン 屋台 昭島 チャルメラ とかの語句でSNS検索したら9月にピンポイント情報を上げてくれた人が居る! これは渡りに船って事で今夜は晩酌を我慢し、情報に従って21:00頃ザ・ビッグ昭島店の裏手にある住宅街へ出向いたら俺の目の前にチャルメラ鳴らした軽トラがあっっ!!!

後ろについて行こうと思ったけどすげーノロノロ走ってるので一度追い抜き、SNSで得た情報の場所へ向かうも軽トラの姿はなし。あれあれ?と思いつつ周囲を走り回ると昭島市立北文化公園の脇に停まっているのを発見。この2年半探し求め遂に出会った移動ラーメンの雄志がこちら。

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なんかもう胸にグッと迫る物がある。web情報によると自前の丼を用意するのがお約束という事なので自宅から持ってきた三つ竜 赤巻6.8というやや大きめの丼に仕上げて頂く。通常サイズの丼だとこぼし易くて危ないのでこれぐらいのサイズが丁度良い。

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持ち歩く事を考慮し出来上がったラーメンにラップでフタをしてくれる。念の為に割り箸も自前で用意して持って行ったけどさすがに箸はくれるみたい。そしてダイソーで買ったトレーを膝の上に乗せ我が愛車の中で食らう。丼持って食うよりは安定してるか。

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おおう、夢にまで見た令和の屋台ラーメンだぜい。なお一杯500円という鬼コスパ。それでいてしっかり美味い。奇をてらわぬ正当な鶏ガラしょうゆ味でチャーシューもかなりポイントが高い。それよりなによりこのノスタルジックなシチュエーションが5割増しで美味く感じさせる。とは言え美味い気がするだけじゃなくクオリティは本物。もう大大大満足のディナーであった。

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食い終わった丼は立川市指定のゴミ袋へ入れて持ち帰る。勿論この袋は本来の使い道で再利用。合理的でしょ。

ちなみに一人先客が居てその人の分と俺の分を作ったらすぐ別の場所へ移動してしまった。食い終わったのが21:30頃で、何処へ行ったか気になり近辺を探し回ったものの見つからず、さっき俺が見たのは幻だったのかもとか思いながら探索を続けたらSNSで得た情報の場所に出現。折角なので再度その雄志を画像に収めさせて頂く。

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見てると軽トラを停めたか停めないかのタイミングで二人の客が登場。地域住民の熱烈な支持を得てるみたいね。その後ザ・ビッグ昭島店で買い物を済ませ、22:00過ぎに周囲を探索したらもう出会う事はなかった。

違う曜日にはもう少し自宅に近い場所へ出没したり、全く別の場所に現れたりするらしいけどそっちの有力情報は掴めず。取り敢えず昭島の出没場所は完全に把握したので食いたくなったらまた来よう。

参考までに書くと、

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青枠が2年半前に探し回ったエリア、赤枠が今回出会ったエリアで矢印の箇所にて遭遇。凄く近いけど僅かばかりズレてたんだな。普通に住宅地だから今回の有力情報がなければ多分出会えなかったと思う。そういう意味でも情報を流してくれた方へ心よりの感謝を。

よく見みるとGoogleMAPに飲食店として情報が記載されてる。こんなの2年半前にはなかったよ。

2024年11月 5日 (火)

追悼 楳図かずお

追悼文が続くのは寂しいけど楳図先生もまた俺の人生に多大なる影響を与えた偉大なるアーティストの一人なので、巨匠を偲びつつ個人的な思い出話を綴っていこうかと。

初めて楳図かずお作品に触れたのは小一の時で、姉貴が買ってきたサンデーコミックス恐怖全3巻。とりわけオープニングを飾る作品うばわれた心臓に強烈なトラウマを植え付けられ暫くは表紙さえ怖くて見る事が出来なかった。

終盤の展開も怖いけど、とにかく7歳児の俺を恐怖のどん底に叩き込んだのはヒロインが仮死状態で意識はあるのに体が動かず声も出せず生きたまま心臓を摘出されてしまうシチュエーション。読み返すと摘出手術シーンの書き文字がとてつもない恐ろしさで悲鳴が聞こえてきそうなほど生々しい・・というのに仮死状態だからヒロインの顔は無表情という。この描写に震え上がった同志は星の数でしょう。しかもこの作品、たった16ページしかない。恐怖マンガの巨匠ここにありといった感のある大傑作。

同時期に読んだサンデーコミックス怪第3巻収録おみっちゃんが今夜もやってくるも壮絶な恐ろしさ。実はこれ昭和30年代に執筆された蔵出し作品で恐怖シーンの多くが加筆だけど、その加筆部分がとんでもなく怖い。おみつの亡霊が夜な夜な庭先に現れロウソク片手にガラスを素通りしてヒロインへにじり寄る描写が秀逸で、これまた少年時代にトラウマを植え付けられた一作。

そして広く知られる通りこの恐怖マンガの巨匠はギャグマンガの巨匠でもあり、その振り幅が凄まじい。以前も熱く語ったけど、まことちゃんの脇役らん丸は俺の中じゃバカボンパパやこまわり君に匹敵する爆笑必至の名キャラクター。その存在を初めて知ったのは丸井中野本店にあった書店(確か4F)で、立ち読みしてたら強烈な笑撃に見舞われ笑いを噛み殺して全身震わせながら読んだ事を思い出す。 

他にも多くの傑作があるけど俺の中では漂流教室こそがトップオブトップ。もう何一つ文句の付け所がない傑作中の傑作。これも機会ある度に書いてるけど俺にとってはあしたのジョー、ブラックジャックと並び崇め奉る少年マンガベスト3のひとつ。

こちらも魅力を語り始めたらキリがないけど個人的に印象深いのは鳥になって飛んでいく下級生、怪虫襲来でイスになるシーン、その怪虫へ果敢に立ち向かい無惨に散る池垣君、高松君の虫垂炎摘出手術シーン、ミイラになる大木選手、女番長、未来人間、大友君との確執、少年マンガ史上最悪のヒール関谷etc... 嗚呼もう止まらない。怖くて気持ち悪くて面白くて何度読み返しても飽きが来ない。この大傑作を世に残しただけで楳図先生は文化勲章もの。でもそれにとどまらないからこそ真の巨匠なんだと思う。

 俺、基本的にマンガ属性の人間じゃないから未読の楳図作品は数知れず。特に晩年の作品は全く読んでない。サンデーコミックスの恐怖マンガも刊行されたうち半分は読んでないから悲しむヒマがあるなら読めばいい。取り敢えずは手元にある恐怖全3巻と怪第3巻と漂流教室新書版全11巻とオリジナルおみっちゃん豪華本を読み返して故人を偲ぶ事にする。

2024年10月18日 (金)

追悼 西田敏行

西田さんの訃報に触れた時はやはりショックが大きかった。俺の人生に多大なる影響を与えたスーパーヒーローの一人なので。ただ世間的な西田さんの捉え方とは若干異なるので、昔の事を思い出しつつ自分なりに故人を偲ぼうかと思う。超長文になりますがお付き合い頂ければこれ幸い。

初めて西田さんの事を知ったのは何かのバラエティ番組だったと思う。ただその時は名前を覚えるには至らず、西田敏行という名前が記憶に刻まれるキッカケは西遊記(1978)の猪八戒役。これも西田さんの演技に魅せられたと言うより大人気番組の出演者ぐらいの認識だった。

むしろ平行して放送されていたTBSラジオ夜はともだちのミニコーナーの方が強く印象に残ってる。Wikiで調べると西田さんが担当したのはザ・バラエティ西田敏行のもうちょっとだったのに、西田敏行カントリー、西田敏行パロディカルナイト(1978-1980)。これが妙に面白くて毎回楽しみにしてた。ちなみに拙作短編映画刑事たちの午後のつまらないギャグで人を殺すネタは西田敏行のもうちょっとだったのにの1エピソードが元ネタ。

この時期放映され西田さんの地位を不動の物にしたテレビドラマ池中玄太80キロ(1980)は初回放送じゃ観てない。だから自分にとっては役者としての西田さん以上にラジオ番組の面白い人という認識の方が強かった。で、ある日のことラジオつけっぱなしでうたた寝してしまい深夜2時頃に目を覚ますと聞き覚えのある声が流れてて、それが西田敏行のパック・イン・ミュージック(1978-1982)だった。

ザ・バラエティはラジオコントみたいな内容だったから西田さんも素を出す事はなかったけど西やんパックでは下らない投書にバカ笑いしたり突っ込みを入れたり、お悩み相談的な投書では真摯にアドバイスしたり悲しい投書があれば慰めたり励ましたり、正に人間としての西田さんの人柄が垣間見え一気に魅了されてしまった。

思えばあれが俺の深夜放送初体験でもあった。世間的な知名度はオールナイトニッポンの方が上だったけどWikiで調べたらパックが1967年7月31日、ANNが1967年10月2日スタートだから先陣はパックだったりする。いずれにせよテレビ番組と一線を画す親近感が自分にとってはカルチャーショックで、そのキッカケを与えてくれた西やんパックを毎週熱心に聴く事になる。ちなみに放送は火曜深夜25:00-27:00。中学生にはキツい時間帯だね。結果、寝坊の常習犯と化すのは自然の摂理。

それから暫くはリスナーとしてラジオを楽しんでたけど深夜放送は参加型コンテンツだという事に気付いて稚拙な投書を始める。1.2通目は何を書いたか覚えてないな。そして3通目の投書をした数日後、えー次のお便りはペンネームC中のならず者、変な名前だなという西田さんの声に全身電撃が走った。そのしょーもない名前こそ正に俺のペンネームだったから。確か池中玄太の再放送がプロ野球中継で潰れて頭にきたとかそういう他愛もない内容で、今にして思えばよくもまあ採用してくれたもんだと思うほどつまらない作文だった。でも敬愛なる西田さんが俺の駄文を読み上げ電波に乗せてくれた事が嬉しくて恐れ多くて全身ガタガタ震えながら聴いた事を今もよく覚えてる。

その後もC中のならず者名義で投書を続け、採用されたのは計7回だったか。でも20通は送ったから打率3割程度。まあまあの採用率だと思うが、これは俺の作文が優れてたわけじゃなく投書自体が少なかったからだと思う。俺は大好きだったけど人気番組じゃなかったからなぁ。

初めて生の西田さんを観たのは西やんパックの公開録音イベント。当時赤坂にあったTBSホールでミニコンサートも行われて大ブレイク前のもしもピアノが弾けたならを生で聴いたのが自慢のタネ。ゲスト出演した横浜銀蝿のミニコンサートも生で観た。その時はかっけーとか思ったり。

あの日渡されたアンケート用紙とTBSの白い鉛筆は今も後生大事に保管してる。アンケートなんだから答えなきゃダメだろと思うけど当時からコレクター気質が強かったので記念品として持ち帰る事を選択してしまったと。見ると56.5.8って書いてある。昭和56年って事は1981年だから43年前の話か。

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約1年後の1982年7月31日にパック・イン・ミュージックが終了。西やんパックの最終回は泣きながら聴いたっけ。それもこれも古い古い昔話だけど俺にとっては昨日の事の様に鮮明な思い出。

西やんパック放送時期は西田さんにとっても飛躍的な年で池中玄太の第2シーズンや大河ドラマおんな太閤記の秀吉役、更にもしもピアノが弾けたならの大ヒットでどんどん雲の上の人になっていった。そして忘れられないのがとある放送日の西やんパック第一声。手元に録音データが残っているので寸分違わず文字起こしすると、

えー、最近あの町を歩いておりますとね、えー僕の顔を見かけて下さる方が、西やん、いつもテレビ観てるよという声もそりゃ多いんですけども、ラジオ聴いてるよ、パック聴いてるよという声がね、最近多いんです。嬉しいです僕!

単なるリップサービスだったのかも知れないけど熱心なリスナー的に嗚呼、この人は天上人なんかじゃない、西やんは何時までも西やんのままだと思わせてくれて心底嬉しかった。

勿論、役者としての西田さんも大好きで個人的には2003年版白い巨塔の財前又一役や近年ではアウトレイジの西野一雄役が印象深い。でもやっぱり最高なのは西やんパックの西やんなんだよな。

手元に残ってる西やんパックの録音データは計5本。毎週欠かさず録音してたのに金なかったから録っちゃ消しを繰り返し残ったのがこれだけ。うち1本は俺の下らない作文の採用回で、この期に公開へ踏み切ろうかと思ったりしたけどあまりにも稚拙で恥ずかし過ぎるから止め。そもそも著作権に抵触するしね。だから今夜は西田さんを偲びつつ一人で聴き返そうかと思ってる。

敬愛なる西田敏行さんの功績を讃えR.I.P.

2024年10月 5日 (土)

何でもかんでも値上がりだぜ

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昨年4月に補修したニューバランス1300CLの履き口がまた痛んでしまったので再度補修を依頼しに行ったら1年半前は片足2200円だった修理費が3300円に値上がりしとる。それを知らされたのが伝票を書いて貰ってる時なのでじゃあいいですとは言えずお願いしたけど高くなったなぁ。日常的に使うと耐用年数は1.5年というデータが取れたので戻ってきたら使用頻度を落として大事に使いましょ。

それと3年前に新調し日々愛用してるPORTERのリュックのファスナーが1箇所壊れたので、修理や買い換えで10何年来お世話になってる立川駅前の正規店へ行ったら別のテナントが入ってて、webで情報収集したところ今年の2月に閉店してしまったらしい。あれまぁと思いつつ最寄りの販売店を探すとららぽーと立川立飛のハンズがヒットしたのでそっちへ出向いたところPORTER製品の修理受付は正規店のみで最寄りは新宿店との事。

色々面倒な事になったけど夜は高田馬場のスポーツクラブへ行く予定だったから少し早めに出て新宿高島屋の正規店へ寄ったら見積もりが出るまで数週間、修理完了まで約4ヶ月、費用は恐らく15000円程度ですと。立川駅前のお店じゃ見積もりは数日で修理完了まで1ヶ月もかからず修理費が5桁になる事なんぞ一度もなかったのに・・ 物価高とか色々あるので無責任にネガティヴな事は書かないけど、20代の頃から絶対の信頼を寄せ愛用し続けてきた俺の吉田カバン熱が一気に冷めた事は確か。

今回は乗りかかった船って事で修理して貰うけど、またイカれたらもう修理依頼はしないし買い換えもPORTERは選択肢から外すかも。ちなみに今は先代のPORTER製リュックを引っ張り出してきて繋ぎに使用中。新調した時に修理を施し現役状態で保管してたのが功を奏した。いや、あの時直しといてホント良かったわ。

値上げで頭を抱えてるアイテムはもう一つあり、それがオメガスピードマスタープロフェッショナル3570.50。1.2年前から1日に10秒ぐらい遅れるようになりオーバーホール必須なれどメーカーがパーツを門外不出にしたため修理専門業者のメンテが受けられず、オメガSSへ正規に依頼すると80000円以上かかるって事で保留してたんだけど、ちょっと調べたら現在のオーバーホール費用はなんとまあ135300円。これはちょっと放出を検討してしまうよなぁ。

一時ほどではないけど今もスイス製機械式腕時計の相場が安定しないのですぐ売り払う事はしないが、大枚はたいてOHを施し使い続ける気力は正直ないっす。これしかなければ意地になって維持したかもだけどサブマリ様も居るからスピマスに拘る理由がない。そう言えばサブマリ様は何時もお世話になってる修理専門店でOHしていただき半月ほど前元気になって戻ってきた。こっちの費用も多少は値上がりしたけどスピマスの正規OH代と比べたら断然割安。

物価高の恩恵があるとすれば後生大事にしまい込んでたコレクターズアイテムの一部が高騰してて金に困ったとき切り崩せばそこそこ良い生活費へ化ける資産に成長した事ぐらい。それ以上に日々消費する食品やら日用雑貨やらが軒並み値上がりしてるからプラマイゼロにも成り得てない。まったく貧乏人には辛い時代だわ。

2024年9月12日 (木)

ブログ復活の理由

前回の更新が10日前だからサボり傾向は変わらないけど7ヶ月放置してた当ブログを突然復活させた一番の理由は、やはり備忘録として有効だからですね。ウチは収益を望める規模じゃないし世界へ向けての情報発信とかの高い志がある訳でもない。もう半分趣味の暇潰しで以前ほど作文の熱意もないからこのまま閉鎖していいかなと思ったりしてた。でも、そうすると前記通り備忘録として活用する事が出来なくなるのでそれはそれで困る。

過去記事で多いのは何かを買った時や何かを食った時のネタで、例えば愛用してるデスクトップPCや家電が不調に陥ったとき過去記事を掘ると何時ごろ幾らで買ったかのデータが瞬時に拾える。旧サイトには更に古いデータが残ってるけどあっちはサイト内検索が出来ず結構不便だけどこっちはブログ内検索を使えるから便利。そんな事もありサーバー容量を確保するため一時削除した2010-2013の記述もテキストだけ復活させてたりする。但し1年分の膨大なデータを1ページに詰め込んでるしリンク切れも多いから読者を全く考慮しない完全なる自分用。

なお画像データがサーバー容量を圧迫するので食い物ネタはSNSへ記録してる。これも自分にとっては意外に重要で、記憶力悪いから新種のカップ麺とか実食データを残しておかないと買ったか買ってないか、更に言えば美味かったか不味かったかすら忘れちゃうんよ。

そんな訳で読者へ向けてと言うよりほぼほぼ自分用に最近のトピックを記録しておく。

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何年か前ベランダにある物干し竿用のフック6つのうち2つが経年劣化で朽ち果て、残る4つのうち1つも欠けてしまい新しいのが欲しかったんだけど本来の物(上画像の奥に写ってるクリーム色のやつ)はとっくに製造が終了してて現行品は手前の形状へ変わってた。しかも単品で買おうとしたら単価も送料もやたら高く(1個あたり約3000円)アホらしくて騙し騙し使い続けてた。ところが最近、気まぐれにweb検索したら6個セットが送料込み3300円で売ってたからこれならいいやと思い購入。ネジの位置が合わないので片側だけネジ止めして逆側は結束バンドで固定してある。こんなでも充分使えるし仮に結束バンドが風化しても替えは山ほどあるから何も問題なし。

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以前貼り替えたプラスチック製の障子紙が剥がれてきた。障子紙自体はまだ使えそうだけど両面テープが寿命っぽい。障子のキーワードでブログ内検索すると前回貼り替えたのは2017/08/27。つまり耐用年数は約7年という事が分かる。ちなみにここは東側の最も日光を浴びる場所で、直射日光をあまり受けない北側と南側の障子はここまで剥がれてなかったりする。あと糊で貼り付けた和紙の障子は健在。強度はプラ製の方が上だけど耐久性は和紙の方が上というデータも取れた。正にブログ更新の恩恵。

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3ヶ月に一度の診察で今日初めて処方されたコレステロール値を下げる薬。主治医の先生には毎年人間ドックの検査表を見て貰ってて、さほど深刻ではないものの毎年C判定レベルでLDLコレステロール値が上限を超えてるから数値を下げる薬でも飲んでみます?と薦められ折角なので処方していただいた。なんでも劇的に数値が下がるらしいけど希に副作用が出る事もあるので異常を感じたら主治医に相談なさいと薬局に言われた。筋肉組織が分解され全身ダルくなったり尿が茶褐色になったりするんだと。なんかおっかねえの。

さておき今日書いたこの他愛ない記述も何年か先の自分にとっては貴重なデータ。そんな訳で今後も誰かに読んで貰う為のみならず未来の自分の為に色々書いていこうかと思ってる。

2024年9月 2日 (月)

高級外車に憧れて

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おかげさまで我が愛車BMW Z3は深刻なトラブルに見舞われる事なく秋を迎えられそう。とは言え何も無かった訳じゃ決してなく初夏にはボンネットが開かなくなり(解除レバーのワイヤー断線)それなりの修理費を要したし、今現在悩みのタネは右のパワーウインドウが手で補助しなければ開いてくれない事。これに関してはDIYの手順をwebで学び交換パーツも用意してあるんだけど何しろ連日クソ暑いので、もう暫くは騙し騙し使い続けて涼しくなった頃に作業しようと思ってる。

そんな調子で色々手間のかかる奴だが心臓部は元気なので周辺パーツの不具合は自分で何とかしようという意欲が湧いてくる。これでエンジンも不調だったら買い換えを検討しちゃうけど、そうじゃないからフルスケールのプラモデル感覚を満喫。勿論、修理費に何十万もかかるようなトラブルに見舞われたらTHE ENDなのだが今のところは楽しめる範疇。例えば先のパワーウインドウ修理に必要なパーツとシリコングリスの購入費は数千円で収まってるし。このまま何事もなければ車検を通して乗り続ける選択肢もあり。1年以上先だからどうなるか分からないけど。

しかしこれに乗ってると高級外車の所有欲を擬似的に満たしてくれるのでちょっと前によく言ってた宝くじ当ててマセラティかアストン・マーチン買うぞー!みたいな感覚が日に日に薄れていく。まあZ3は新車価格も400万程度だから高級外車とは言い難いのだが、マセラティやアストンだって年式の近いモデルなら乗り心地は似たような感じだろうなという想像が付く。だったらこれでいいや、みたいな。ちなみにマセラティもアストンも車幅が広過ぎて自宅の駐車スペースに収まらないから現実的に買うのは論外だったりする。

男たるもの高級外車に憧れるのはどの世代も不変だと思うのだが1977年のスーパーカーブームを多感な時期に迎えた世代は思い入れが数割増しな気もする。俺ら世代にとって高級外車の代名詞と言えばランボルギーニ・カウンタックLP400とフェラーリ512BB。ド派手なデザインに加え二千万前後という高価格が少年たちのハートを鷲づかみ。当時はどれだけ車高が低くて馬力があって価格が高いかが重要って感じだった。フェラーリよりカウンタックの方が低いからカウンタックの勝ちみたいな。まあハナタレ小僧ならではの発想ですよ。

他にも様々な外車メーカーがもてはやされたけど俺は何故かマセラティとアストン・マーチンに惹かれた。アストンはまあボンドカーという側面もあるからだけど何でマセラティだったんだろ。ちょっと調べると故障の多さはBMWの比じゃないみたいだから20年落ちのマセラティなんて絶対買っちゃダメっぽい。まあ直して乗り続けるだけの気力と愛着と財力があればそれはそれで楽しい日々だろうけど。

そう言えば大昔の記憶が突然甦った。NAロードスターに乗ってた頃、夜の目白通りを流してるとマフラーが錆び落ちそうなボロボロのディーノ208に出くわして、見たら金なさそうな同世代の若者が運転してた。富裕層の方々にしてみれば笑い者だったりするのかも知れないけど俺には凄く粋に見えた。25年落ちの安いBMWを自分で修理しながら乗り続けてるのもあの時ディーノに乗ってた車好きであろう若者の影響が少なからずあるかも知れない。傍から見て今の俺が粋に見えてるかどうか分からないけど、俺は粋なBMWオーナーだぜと酔いしれる事なら出来る。それでいいんじゃね。

2024年8月28日 (水)

スピルバーグ版 ウエスト・サイド・ストーリー

約7ヶ月サボってた当ブログをいきなり再開。理由は色々あるけどまずこのネタは文字数制限のあるSNSじゃ語り尽くせないんで。しかし日本封切りから既に2年半経過してるので今更感ありあり。

スピルバーグ版の前に1961年製作ロバート・ワイズ版の話を。初見は俺が小六の頃で、wikiで調べたら1979年1月4日にTBSで放映された資生堂 新春スペシャル。ノーカット放映だったらしいけど俺が観始めたのは確かダンスパーティーのシーンからで、最初からちゃんと観たのはビデオレンタルが普及した後だったりする。当時映画チラシ収集に熱を上げてたからタイトルだけは知ってて、映画雑誌にあのウエストサイド物語が遂にテレビ放映!みたいな事が書かれてて少し気になり途中から観始めたってのが正直なところ。

いや何つーか、善し悪し以前に強烈なカルチャーショックを受けた。それまで鮫や熊が人間を襲う映画に夢中だったハナタレ小僧にとっては未知の領域で、カッコいいガイジンたちが唐突に歌い踊り始める構成に脳がバグった。もう訳分からん何じゃこりゃあ!って感じ。ガキだから物語には大して感情移入出来なかったけどモダンジャズとオペラを融合させたレナード・バーンスタインの楽曲とシャープなダンスに魅了され鑑賞後レコード屋へ走りサントラLPを買ってバカみたいにリピートした。あの片足を高く上げるダンスも小学校でよく真似したわ。かの淀川長治先生は体操みたいとかボロクソ言ってたけど俺は好きだったなぁ。今も決して嫌いじゃないし。

それだけ思い入れのある作品だから天下のスピルバーグさんがリメイクするという情報を掴んだ時は期待と不安が入り交じった。結局2年半も保留しちゃったのがその表れかも。

で、満を持してPrime Videoで全編観た訳だけど率直な感想はwebで散見される微妙なレビューと大差なし。やはりワイズ版の印象が強過ぎて違和感しかない。いや、良く出来た作品だとは思うんだけど何一つワイズ版に勝ってない。存在意義もよく分からない。強いて言えば昔こういう素敵な映画があったんだよ。だからこの期にワイズ版も観てねという若い世代へ向けての宣伝効果があるかも。

シンパシーを感じるとしたらオリジナルスコアを絶対に崩せない事。そのままやれば思いっきり比較されるし改変するとブーイングの嵐。もう試合の前から敗北が決定してる感じ。これもwikiによると総制作費$100,000,000で興行収入が $76,016,171だから回収に至ってない。結局、多くのシネフィルが俺と同じ感想しか持ち得なかった事の証ですかね。

曲順がワイズ版と異なるのも気になったけど、良い機会なので色々調べたら実はスピルバーグ版の方がブロードウェイミュージカルに忠実でワイズ版が改変してるらしい。俺、ミュージカル版は観たこと無いから全然知らなかった。それと初見のTBS放映版ってマリアを大竹しのぶが、トニーを国広富之が、ベルナルドをなんとジュリーがアテるという当時流行りの著名人吹き替え方式なのね。これは全く意識してなかった。あるいは忘れてるだけか。深掘りすると色々気付きがあって面白い。そういう意味じゃ2年半遅れのスピルバーグ版鑑賞も意義はあったかな。

2024年1月30日 (火)

五代目映ちゃん号は25年落ちのBMW Z3 ロードスターだっ!

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はい、お気に入りかつ絶好調だった86GTを手放してまで乗り換えを望んだ車種はBMW Z3(2.0)なのでした。

車にあまり詳しくない方は大して金持ってねえクセして生意気にBMWかよとお思いになるかもしれませんねぇ。いやいやいや。これ、車体価格45万円ですよ。更に言えば割安って事もなく、これぐらいのコンディションなら相場がその程度だったりする。まあ25年落ちですから天下のBMWだって値崩れします。ちなみに歴代映ちゃん号の中でも最安値。軽のスピアーノSSですら80万したので。

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走行距離は約93000km。但し以前から書いてる通り走行距離なんてのは目安に過ぎない。10万km走ってても絶好調の個体もあれば1-2万kmしか走ってなくても絶不調というケースだってある。だから俺の場合、それが価格差の理由だとしたら迷わずに走行距離いってる車体を選ぶ。過去それで失敗した例がないし。

とは言えこればっかりは賭けだったりする。四半世紀もの間どういう扱いを受けてきたかは想像するしかないんでね。取り敢えずこの車体に関しては高速走行でも回転がスムーズで何のストレスもなかった。でもね、中古車って納車前にある程度整備されるから購入直後は大抵好調で、数ヶ月経過した頃に本性を現すので油断は禁物。そして修理費バカ高の深刻なトラブルに見舞われたら即乗り換えと決めてるのでこいつとの付き合いは長くても2年(今のところ次の車検を通す気がない)。万が一、これが大当たりの車体で何のトラブルも発生しなければそれ以上乗る事があるかもだけど可能性は低いだろうな。

まだ100kmちょっとしか乗ってないが話のネタは山ほどあり、それをアクセス数の激減した当ブログでダラダラ書いても仕方ないので以前から着手しようと思ってたYouTube動画で後日語り尽くそうと思ってる。今はその準備中で、ネタ系じゃなく正当なインプレ動画になるかと。乞うご期待。

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