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2011年8月29日 (月)

伊丹十三

没後14年を経て今更この人の事を語るのはズレ過ぎだなあと思いつつ、ここ数日で6本観たので私的見解なんぞを・・

とにかく俺はお葬式タンポポがダメで、部分的に好きな箇所はあるけどトータル的には全く好きになれなかった。理由は狙い過ぎた作風が肌に合わなかったから。故に三作目マルサの女の封切り時、人から薦められた時も観る気になれず、その後の作品も全く観ないまま今に至る。

それが何故突然今になって観る気になったのかと言うと、一ヶ月ほど前に中平先輩と脚本家の継田淳さんと3人で飲んだ時に伊丹作品の話になって、凄く勉強になるので観た方が良いと言われたから。その時に薦められたのがあげまんマルサの女2、その一週間後だったか先輩とサシで飲んだ時も大病人マルタイの女を薦められ、DVDを借りたはいいけど読書に明け暮れて約一ヶ月間放置。そして入院中に一気観。

端的に述べると、ここで挙げた順に観ていったらどんどん魅力が増してる気がした。ところが世評は全く逆で、マルサの女をピークにどんどん評判が落ちてる(例外的にミンボーの女は高評価)。特に大病人とマルタイ~はwebじゃ悪口ばっかり。俺、どっちも好きだし面白かったけどなあ。

そうなるとマルサ1作目とミンボーも観ない訳にいかないので、昨日借りてきて2本追加鑑賞。もうホント世評と真逆の評価。マルサ1作目は確かに面白いけど初期2作と同様の作風が色濃く残ってる印象であまり好きになれず、真価を発揮するのはマルサ2からだと思った。ミンボーは良かったな。よく出来てる分だけそのスジの方々も頭に来ちゃったんだろうね。

これも私的観測だけどマルサまでの三作品は作家性が強く気負い過ぎてて、観客の為と言うより自分の為に映画を作ってる印象。マルサ2以降の作品は妙な個性こそ残しつつ面白い作品に仕上げる事を目的として映画の為に映画を作ってる印象を受ける。要するに奇をてらう事以上に、効果的な演出を重視してると言うべきか。

例えば大病人で津川雅彦が主人公にガン告知をするシーンで、三國連太郎が車椅子をガタガタ言わせて震える演出とか初期作品には見られなかった物だし、素直にいいなあと思った。遺作マルタイもやたら評判悪いけど良かったな。銃器の演出が北野映画っぽい部分を含めて。

仮に大病人やマルタイを酷評してる人がお葬式やタンポポを絶賛してたら趣味の相違って事で片付けられるからそうであって欲しい。まあ多分そういう事だと思うけど。好きな人にとっては俺の全くついて行けなかったあの作風こそが魅力で、それがなければ物足りないんでしょ、多分。

ちなみにこの6作品一気観によって伊丹作品制覇まであと2本になってしまった。未見なのは静かな生活スーパーの女。折角だからそちらも近々観ておこうと思う。

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