あまちゃんとWの悲劇
最近のあまちゃんを観てると、これって完全にWの悲劇だよなあと思わされる事がしばしば。webを徘徊すれば同じ事を指摘してる人は多いし、意識的な引用と思われる箇所もあるからクドカン流のリスペクト・・つーか遊び心なんだろうけど。
で、ちょっと懐かしくなり、DVD引っ張り出してきて久々にWの悲劇を観たらやっぱり良いんだよね。俺的に角川映画のベスト3を選出するなら絶対外せないし、薬師丸ひろ子主演作ではこれが最高傑作だと今も信じて疑わない。
ところが世評をチェックすると意外に賛否両論。ただ、不評コメントを読むと薬師丸ひろ子の演技やら世良公則の台詞回しやらに難色を示してる人が多い。確かにそういう見方をすると乗れないだろうな。
映画Wの悲劇は夏樹静子の原作を劇中劇に、同様のシチュエーションが現実の演劇界で同時進行する二重構造の物語として知られてる。ところがこれ、実は三重構造なのだ。すなわち、二重構造の映画制作を通して女優の魅力を引き出そうと奮闘する澤井信一郎監督と、それに応える薬師丸ひろ子の物語でもある、と。
今も座右の銘として大事に所有してる月刊イメージフォーラム1985年1月号にWの悲劇制作ノートが掲載されてて、それを読むと澤井監督が薬師丸ひろ子を際立たせる為に様々な仕掛けを用意した事が数多く書かれていて実に興味深い。例えば語り草にもなってる2つの長回し。一つ目は世良公則との飲み屋のシーン、もう一つは三田佳子とのホテルのシーン。いずれも2-3分に渡り薬師丸ひろ子は一言の台詞も発さず、ひたすら長台詞を聞かされる。その受けの演技・・と言うか、その時に内面から滲み出る雰囲気だったり表情だったり仕草だったりが有り得ない程に良いんよ。
当時から多方面で語られてる通り薬師丸ひろ子って人は決して名優じゃない(あ、ここではなかったと書いておきましょう。あまちゃんでの演技は素晴らしいので)。それは澤井監督も重々承知で、その上で魅力を引き出す為に用いた手法の一つが前記の受けの演技だったりする。他にも様々な仕掛けがあるんだけど、そういう部分に着目して観るとWの悲劇って凄まじい傑作だよ。公開当時な~んか乗れねえとか思った人も、ちょっと見方を変えて再見してみる事をお勧めします。ま、それでもダメな人にはダメだろうから強要はしないけど。
で、話をあまちゃんに戻すと、遂に来週3.11を迎えるらしい。全ての物事が好転した今のタイミングで視聴者を一気に奈落の底へ叩き落とす外道の黄金パターンで来るのか、それとも全く違う展開を見せるのかは知る由もないけど、あまちゃんって事前にあらすじが公表されたりしてネタバレ傾向にあるから今後はTwitter閲覧も要注意だな。
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