ベータマックスの思ひ出
今回も同世代にしか分からない昔話。アオイホノオの劇中、焔モユルの友人が自慢の為だけにバカでかくてクソ重いSONYベータマックスJ9を担いで学校へ持ってくるエピソードがあったけど、高校時代には俺も似たような事やってた。いや、自慢の為じゃなくダビング作業の為にビデオデッキを持ってる友人の家へ自分のデッキを持って行く事をよくやってた。しかも移動手段は原チャリ。そんな事ばっかりしてたから当たり前だけどよく故障したよ。
自宅に初めてビデオデッキがやってきたのは高一か高二の頃だから1982-83年か。初めて10万を切るビデオデッキが市場に登場し、半分はバイトして払う条件で親を説得したんだっけ。NEC製のデータマックスで音声はモノラル。ノイズ混じりのスロー再生は可能だけどコマ送り不可。そういう安かろう悪かろうな機種だった。
でも当時は嬉しくてねえ。今みたく全局24時間放送なんて時代じゃなかったから平日はどの局も深夜1時か遅くとも2時には終了してその後は全局砂嵐。そんな中で録画したビデオを再生すれば深夜でもテレビが観られる。なんかもう、それだけの事なのに鬼の首を取ったような気分で、意味無く夜更かしして夜中にビデオ観たりしたわ。
ちなみにこの頃のベータマックス:VHSの比率は4:6ぐらいじゃなかったかな。当時は機能豊富でマニア向けのベータ、機能はそこそこなれど操作が簡単な家庭用のVHSという位置付け。そんな中でベータを選択したのはマニア性を評価した訳じゃなく、既にビデオを所有してたお金持ちの家はみんなベータを使ってたからテープの貸し借りをしたいならベータを選択するしかなかった。
その数年後にレンタルビデオが台頭し、エロビデオを借りて観たいならVHSという時代の到来で4:6だった普及率はあっという間に2:8になり1:9になりベータマックスは瀕死の状態へ追い込まれる。さすがに俺も87年頃にSHARP製の安いやつだったけどVHSを導入したよ。
天下のSONYはプロ用機器で培った技術力を駆使して家庭用の限界域まで機能を充実させマニアの気を引き続けたものの遂に白旗を上げて90年前後にSONY製VHSビデオデッキが登場。もう、勝負を挑むには敵が大きくなり過ぎって感じだったね。
話は戻ってベータマックス。最初に買ったNEC製のデッキが前記の頻繁な持ち運びで万年不調&機能面でも不満が多かったので85-86年頃にSONY SL-HF77ってモデルへ買い換える。これはコマ送り出来たし音もHi-Fiステレオサウンドで満足度は高かった・・けど、当時のSONY製品にはもれなくSONYタイマーが内蔵されてたから故障も多かった。
次が社会人になってから親の資金援助を受けずに買い、絶不調ながら今も所有してるSONY SL-HF85D。何年も電源入れてないから動くかどうか分からないけど、一応ベータのテープが数本残ってるので今も捨てずに持ってる。
導入時の事を思い返すと、やはりテープが高価で思うように買えなかった事が凄く印象に残ってる。確か2時間テープで2000円強、3時間テープに至っては4000円近くしたもんな。で、ビデオの普及率アップと共にテープの値段も安くなってきて84-85年頃にはスコッチ製の2時間テープがディスカウントストアで800円ぐらい。90年代にはスタンダードなら3本で1000円以下。この辺の流れは今のDVD-RやBD-Rと何ら変わらないけど、最初期のDVD-Rとて1枚1000円はしなかったから時代の違いを感じるよ。
しかし俺も若手連中にジジイ扱いされるほど歳を食ったけど、こういう家庭用AV機器の進化をリアルに見てこられたのは一つの自慢だったりする。一部金持ちの特権アイテムだったベータマックスの天下から始まりVHSの台頭、アナログからデジタルへ移行しテープメディアは死滅。そしてディスク時代からデータの時代へ。これで頭打ちかと思わせつつ、未来にはもっと画期的なメディアが登場するんだろうな。
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