中野散策その3
三ヶ月に及んだ俺の奥歯治療も昨日終了したので、また暫く中野に来る事はなくなる。しかし中野の歯医者へ10数回通ったのにブロードウェイセンターを覗いたのは1.2回のみ。何時も午前中の早い時間に通院してたから店が開いてない事もあるけど、もうレア物コレクションから完全に撤退してるので用はないってのが一番の理由。
で、本当は火曜日で治療が終わる予定だったのに歯の詰め物がまだ出来てないとかで無駄足になってしまい、そのまま帰るのも忍びないので三度目の中野散策と洒落込む。
数年前は更地だった我が母校中央中学が名前を変えて復活してた。校舎もすんげー綺麗に作り替えられ、昔の面影は微塵もなし。
警察大学校と公務員住宅を全て取り壊して建てられた大学キャンパス。中野駅側からは幾度となく見たけど裏手に回ったのは再開発後初めて。
そこから徒歩数分の住宅地に佇む公園はガキの頃から何も変わらない。こういう場所に来ると長年忘れてた昔のことが色々と思い出される。確かこの近くに旧ローラス・エランの駐まってるガレージがあり5丁目のトヨタ2000GT同様、ガキの頃よく眺めに行った。あと、この辺に口裂け女が出たとウソぶいた同級生もいたっけ。
高校時代、バイト先の高円寺へ向かう時に原チャリで幾度となく行き来した線路沿いの道。ここも幾つかの家が綺麗に建て直されてたものの佇まいは昔のまま。
ほぼ同じ場所なれど、大学キャンパスへ近寄ればイメージが大きく変わる。20代の頃、同ポイントで撮影した8mmフィルムがあるので画像を並べてみたりして。
左右にある公務員住宅は勿論取り壊されて跡形なし。このもう少し奥の左手に警察大学の射撃場があり、時折銃声が聞こえてきた事を思い出す。射撃大会をやってる事もあったな。
石井聰互(現・岳龍)監督作シャッフルの撮影にも使われたこの鉄橋も全然変わってなくて嬉しくなる。ここを渡ると小学生時代、チャリで死ぬほど走り回った中野三丁目。この辺は同級生の友人宅が多く、古い記憶を頼りに見て回ると建物自体は変わっても表札の名前がそのままだったりして何とも感慨深い。
こんな調子で雨の中を2時間ほど歩き回り、さすがに疲れてきたので中野駅へ向かう。で、帰る前にやはり小学校の同級生が数名住んでた駅前の都営住宅を見に行く。
ここも当時のままで雰囲気あるなあ。住んでる人は少なそうだけど。
最後に昔撮った8mm映画の画像をもう一つ。
この変な構図が当時のアートかぶれを如実に物語ってるなあ。さておき、一番手前の一号棟が俺の住んでた公務員住宅。今の自宅付近にもこういう古い団地は点在してるものの順次取り壊されてる。勿体ない気がするけど老朽化とか色々問題あるから仕方ないんだろうな。
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