追悼 志村けん
俺ら世代にとってドリフは神に等しい存在だった。Wikiで時系列を辿るとカトちゃんのチョットだけよが1972年で俺は6歳、志村さんの東村山音頭が1976年初頭で俺は9歳か。正に直撃世代と言っていい。
正直言うと荒井注さんからけんさんへの交代劇に違和感を拭い切れずドリフ離れを起こした時期がある。ところが同級生から志村の東村山音頭がすげえ面白いんだぜという話を聞き、観たらホントに面白くて、当時は家庭用ビデオなんて無かったからテレコをテレビのスピーカーに密着させて録音を試みたものの1丁目でどうしても笑いを堪え切れず、俺のバカ笑いが共に記録されてしまう有様。
今の世代が懐かしの番組紹介なんかで東村山音頭を観ても爆笑する事は恐らくないだろうな。でも当時のガキ共にとっては超どストライクで毎週毎週アホみたいに笑った。時には前半コントのオチがツボにハマり過ぎて文字通り死ぬほど笑い転げた。もう息が出来なくてホントに死ぬかと思ったわ。今でも鮮明に覚えてるのは前半コントが終わりゲストの歌・CF・明けてゲストの歌が終わり少年少女合唱団のコーナーが始まっても笑いが収まらないの。時間にして10分以上。あれは正真正銘の必殺ギャグだった。
視聴率低迷で全員集合が終わりカトケンヘ移行。初めのうちは観てて辛い部分もあったけど徐々にペースを取り戻した印象で、だいじょうぶだぁ教の辺りになれば全員集合と比較しても遜色ない面白さ。後にTBSを離れCX系で志村さんの冠番組、志村けんのだいじょうぶだぁがスタート。この番組が大好きで、俺も立派に成人してたクセして時にはガキの頃みたく笑い転げた。特に俺のツボを直撃したのが身長180cm以上で腰が低い男のネタで、あの時も10分近く悶絶したっけ。マーシーや桑マン、いしのようこさんや松本典子さんとの息が合ったコントも素晴らしかったなぁ。
長さんや注さんが逝った時もショックだったけど、今回はケースがケースだけに絶句するしかない。ただもう志村さん、長年に渡りお笑い芸で俺の人生を豊かにしてくれてありがとうございましたとしか言いようがなく。全員集合や志村さんの冠番組から俺好みのコントを抜粋して作った私的傑作選の録画DVDが10枚以上あり、今は悲し過ぎて観られないけど一生の宝物なので、気持ちの整理が着いた頃に再見し故人を偲びたいと思う。
偉大なる喜劇王に心からの感謝を。R.I.P.
この記事へのコメントは終了しました。
コメント