流行り物を否定する事の美学
フェラーリなんてイタリアのゴミだってのはGOGO夕張の台詞だけど、俺なんかこの言葉の節々から強烈な負け犬根性を感じてしまう。そうは言うけどあんた、タダであげるって言われたら喜んで貰うでしょ、と。結局こういう事を言う人ってフェラーリが嫌いなんじゃなくフェラーリのブランドイメージやステイタス性が気に食わないだけなので、その性能や実績は無視して話を進める。
で、何故かこういうタイプがエンタメ系の匿名掲示板には多く、自分が支持するアーティストより売れてるグループをすぐ敵対視し、鬱陶しい長文で持論を延々展開する。つい数日前も俺が覗いてる某板でそういう輩が吠え始め、他のスレ民にいくら罵られ叩かれても書き込みを止めない。言っても無駄なのでみんなブラウザのNGへ放り込み、最後の最後は黙殺される形で収束。でもこういう奴は自覚がないから同じ事を何度でも繰り返す。
ちなみにこの時はYOASOBIを槍玉に挙げ、あんなのは数年後忘れ去られてるとかライブ向きじゃないとか何も心に残らないとか、規格外の動画再生数やセールスランキングは二の次。さすがにウザいのでみっともないから止めとけって突っ込んだらYOASOBIを擁護するなと来た。そうじゃなくてお前の愚行が見てられねえんだよ。
ただ、こういう事って恥ずかしながら身に覚えがある。俺も血気盛んな20代の頃はサザン・ユーミン辺りを敵対視して周囲へ随分と毒を吐いたもんです。俺の敬愛するARB様やアナーキー様、PANTA様やスターリン様より何故もてはやされてるんだ、あんなのクソじゃねえかと。そしてサザン・ユーミンを支持する層の声に耳を貸さず実績も認めず、ただひたすら己がマイノリティである事、流行り物へ乗らない事に美学を見いだし酔いしれてた。多分、あの頃にSNSや匿名掲示板があったら俺なんかNGに放り込まれる民度の低いやつ代表だったろうな。
音楽にせよ映画にせよ、こういう偏向した思想が緩和されたのは30代も後半に差しかかった頃。やはりこういう事ってある程度人生経験を積み、余裕が生まれないと分からなかったりするんだよね。今はもう丸くなっちゃってサザン・ユーミンの偉大さも素直に受け入れられる。率先して聴こうとまでは思わないけど。
それはそれで人として完成の域に到達したと言えなくないが、あの若い頃の尖った感性が損なわれた事に一抹の寂しさも感じる。だからYOASOBIなんかクソだとギャーギャー騒ぐ奴の事を心の底から軽蔑出来なかったり。ま、彼も今に分かるでしょ。
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