TOKYO2020パラリンピック雑感
五輪閉幕直前から番組表を張ってるんだが今回は国営放送の総集編やらないのかぁ。民放の総集編と五輪閉会式翌日に放映されたNHKスペシャルならぬかりなく録画したけど、毎大会恒例のあの総集編が観たいんよ。こういうご時世だから自粛モードなんだろうか。嗚呼、悲しい・・
さておき史上最悪のタイミングで開催されたスポーツの祭典も取り敢えず終了。その是非に関しては様々な意見が飛び交ってるし俺自身、見送るべきだったのではと今も思ってたりするのだが、仮に中止してしまえば今大会で輝いたアスリートたちは活躍の場を奪われモスクワ大会時の日本選手団と同等の絶望感を味わう事になった訳で、そう考えると選手たちの立場になればやって良かったんだろうなとも思ったり。もうホント、意見がまとまらない。
しかしパラスポーツって性質上、捉え方が難しい。アナウンサーや解説者やコメンテーターが、どういう経緯で選手がハンディキャップを背負いそれを乗り越えてきたか熱く語ったりして、それって凄く大切な事ではあるんだけど、そこへあまりフォーカスするとそれこそ感動ポルノに成り下がる。とは言え、何も考えずかっけー面白えーに終始しちゃうのも違うし。まあ、どっちかと言えば何も考えずかっけーの方がいいのかな。
それを再認識させられたのは競技の合間だったかデイリーダイジェストだったかに寄せられた視聴者メッセージで、ウチの子供は健常者だけどゴールボールを自分もやりたいと言ってるという内容。偏見も先入観もゼロで面白そうだからやりたいって思うのが正解だろうし、それは凄く印象に残ってる。
でもゴールボールって実際にやろうとしたらあり得ないほど難しい競技だと思う。それはブラインドサッカーも同様で選手たちの動きを見てると、いやいやあんた絶対見えてるでしょとしか思えない瞬間があるんだけどデイリーダイジェストで練習風景が紹介されててそれ観たら、その域へ到達するまでとんでもなく厳しい練習を積んでるみたいだし、観るのとやるのじゃ大違い。
競技中継では健常者と障がい者の垣根があらゆる意味で取り去られ真のバリアフリーな世界が訪れる事を願うとコメンテーターが繰り返し言ってて、俺も完全同意なれど実現が難しい事も否定出来ない。人間という生き物には異種を排除しようとする差別意識がDNAに組み込まれてるらしいんで。この問題を考えるとき何時も思い出すのはエレファントマンが空前の大ヒットを放った際に荻昌弘さんが冷静に述べた一言。曰く、劇中ジョン・メリックを人間扱いしたのは看護師のおばさんだけだったねと。
貶めず特別視せず美化もせず、あの看護師さんみたくメリックと普通に接する事が俺には出来ただろうかと今もふと考えさせられたりする。結局、こんな事を考える必要がない・・否、思い付きさえしない開かれた世界こそが理想的なワンダフルワールドなんだろうな。
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