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2021年11月12日 (金)

私は如何にしてネギとキュウリ以外の野菜を克服したか

脳の活性化を目的として古い古い記憶を辿る自分語りを。

俺の野菜嫌いは生前のお袋曰く、離乳食の野菜スープが不味かった事から始まったらしい。その頃の記憶は勿論なく、俺にとって一番古い野菜嫌いの記憶は3歳の頃、飯食いながらポパイのアニメを観てるとお袋にポパイだって食ってるんだからお前も歌いながらほうれん草を食えと言われ、タカタタッタラ~♪とポパイのテーマを歌いながら食ったほうれん草があり得ないほど不味かった事。これが決定打となり、緑の野菜は一切食えなくなった。

幼少期、全く野菜を食えなかった俺が唯一食えたのはトマト。あとニンジンも好きじゃないけど平気だった。芋類も大丈夫。緑じゃないからね。

緑じゃなくても食えなかったのはタマネギ、大根、ゴボウ、モヤシ。この辺はとにかく匂いがダメ。幼稚園時代の昼食は弁当だし自宅の食卓からは野菜が消え(親父とお袋は食ってたけど)何も問題なかったのだが、小・中学時代の給食には当然野菜が含まれてるから食えない。教師にとっては給食も教育の一環なので俺に野菜を食わせようとするんだけど無理に食ったら吐いちゃう。

だから残しちゃうんだが昭和の頃は給食を残すと昼休み無しとか酷い時代だった。今なら人権の侵害とか言ってSNS大炎上なのだが当時はSNSなんかねえし、放課後になっても俺の机の上には食い残しの給食が置かれてる有様。それでも食わないから歴代の担任教師は全員諦めた。面白かったのは中学時代に俺の野菜嫌いがホームルームの議題となり、その時に出た結論は奴も将来的に体が野菜を欲する筈だからそれまで好きにさせておこうだって。まさか半世紀かかるとはね。

で、ここからは克服の歴史。10代のうちに食えるようになった代表的な野菜はキャベツ。それまでペヤングの乾燥キャベツすら抜いて食ってたんだが、あんまり匂いしねえじゃんという事に気付いたのと、ガキの頃から餃子は好きだったし(この辺が俺の偏食の適当さを物語る)何時からかお好み焼きが大好物になって全く抵抗なくなる。ほぼ同時期に納豆も平気になったな。あとレバニラが好きになりニラ・モヤシも克服。ただ、ラーメンのモヤシだけはネギと共に抜く傾向が続いた。

それから暫く平行線を辿り、40代になった頃それまで苦手だった大根が突然食えるようになった。昔、おでんの大根が食えないと言ったら友人知人に信じられないとか罵倒されたけど今は俺も同感。

そして俺にとっての大きなターニングポイントが2011年の5月。それまでの不摂生が祟って一過性脳血栓を患い、こんな偏食続けてたら死ぬぞと思うに至り野菜克服大作戦に着手。結果、食える野菜より食えない野菜を挙げた方が早いレベルで様々な野菜を食えるようになった。

今の俺にとって最大の宿敵はキュウリ。少し前までネギ・キュウリが双璧だったが今では白ネギ克服の光明が見えるんで。ただ昔からちょいちょい書いてる通り柴漬けやきゅうりのキューちゃんは普通に食える・・つーか好き。要するに俺の偏食って味覚以上に心の問題なのだよ。ホントのホントにキュウリがダメな奴なら柴漬けだって食えない筈だし。

だからこそ全てを克服出来る可能性は高い。時間かかり過ぎたけどネギにはネギの良さがある事にもようやく気付いたし。とは言え、食えなくはないけどタマネギやピーマンは今も苦手だし食った事すらない野菜が沢山ある。五郎さんへの道はまだまだ長く険しいな。

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