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2022年4月20日 (水)

西やんパックにまつわる不思議な出会いの話

この話は高校の卒業文集用に常軌を逸した長文で書き上げ、教師から長過ぎるんだよ!!とクレーム食らって半分に縮めたという、まあそれだけ思い入れ深いエピソードだったりする。旧サイト時代を含め公の場で書くのは初めてかな。BGMの謎が解けて気分が良いので、40年近く前の昔話を熱く語ろうかと。

西田敏行さんのパック・イン・ミュージックに初めて触れたのは確か中二の頃。放送時間が25:00-27:00だから中学生には超夜更かしだね。それまで21:00-24:00頃に放送してたTBSの夜はともだち、通称夜ともはよく聴いてて、西田さんの担当するコーナーが凄く面白かったので毎回楽しみにしてた。で、恐らくはラジオつけっ放しで寝ちゃって夜中に目を覚ましたら西やんパックが流れてたんだと思う。ああ、西田さんってこんな遅い時間も担当してるんだと思いつつ聴き続けたら夜ともでは味わった事のない親近感にハートを鷲掴みされ、それから毎週火曜の夜更かしが日課になってしまう。おかげで寝坊の常習犯になるのは自己責任だが。

パック・イン・ミュージックの大きな特徴は投書が長文な事。ニッポン放送のANNは今も昔も葉書の投書がメインだし、文化放送のセイ!ヤングも同様だったと思う。ところがパックの投書はどう考えても便箋3枚前後が平均的。その分パーソナリティーとリスナーのやりとりが親身になる。これが俺にとってはカルチャーショックだった。

ガキながらにこれは参加型コンテンツなんだと解釈し、暫くすると俺自身も駄文を投書するようになる。初めて採用された時は全身震えたなぁ。敬愛なる西田さんが俺の書いた下手クソな文章を手に取り電波へ乗せてくれてる事が恐れ多く、同時に快感でもあった。

これに味を占めてひたすら投書を続け、採用不採用を繰り返しつつ常連と呼ばれる域へ達した頃、俺も高校生になる。その入学式の日、何とも不思議な出会いがあった。うろ覚えけど別のクラスの新入生に聞かれて君の席は多分あっちだよと教えてあげたとか、そんな些細なやりとりだったと思う。で、彼は別れ際にこう言う。

ありがとう。僕、○○○って言います。よろしくね。

その名前には聞き覚えがあった。西やんパックに同じ名前の常連投稿者が居たから。一瞬、へっ??となったけど、まあ同姓同名なんだろうなと思った。そりゃそうでしょ。同じラジオ番組に投書を繰り返す常連同士が高校の入学式でバッタリ出会う事なんて考えられないし。

その彼とはクラスが別だったから接点も無いまま半年近い歳月が流れ、彼と一緒のクラスだったという同期の映研部員にこんな話を聞かされる。

○○って奴が居てさ、お前の好きなラジオ番組によく投書してたみたいだぜ。もう退学しちゃったけど。

長いこと生きてると妙な運命の巡り合わせを時折感じるが、これはもうトップクラスと言っていい偶然の出会いだった。ニアミスに終わったけど。

色々聞くと家庭の事情で退学せざるを得なかった事、火事の大怪我で進学が遅れて実際は俺の二つ年上という事、そして話の内容から間違いなく西やんパックの常連だという事が分かった。今となっては無いものねだりだけど、彼があの時まだ在学してたら俺はどうしただろうか。友人になれたかどうかは分からない。でも西やんパックの話題だけで夜通し語り合えたろうな。それが残念で仕方ないけど、俺の中では彼が今も心の友だったりする。

プライバシーを尊重し本名の公表は控えたが○○君、今も元気でやってるかい。また何かの偶然で君がこの駄文へ辿り着き、二度目の出会いを果たせたら嬉しいよ。

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