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2022年9月13日 (火)

追悼 ジャン=リュック・ゴダール

ヌーヴェル・ヴァーグの旗手ゴダールの訃報が流れた。享年91。まだ死因が分からないけど盟友フランソワ・トリュフォーの逝去が1984年10月(享年52)だから大往生と言っても差し支えないのでは。

この歳になってカッコつける必要がないのでぶっちゃけて言うけど正直ゴダール作品の大半は敷居が高くて俺には理解不能でした。しかしながらゴダール分からんとは口が裂けても言えない時代を生きてきた人間なのでその辺の思い出話なんぞを。

俺が初めてゴダールという映画監督の存在を知ったのは奇しくもトリュフォーが亡くなった1984年頃。1968年の五月革命以降商業映画の世界に背を向け極めて政治的な短・中編作品ばかりを打ち出し続けてきたゴダールが79年に勝手に逃げろ/人生で商業映画へ復帰し、82年制作のパッション、83年制作のカルメンという名の女が日本でも単館上映。それに併せ気狂いピエロがリバイバル公開され一部シネフィルの間で盛り上がりを見せていた頃。俺様は若干18歳。背伸びしたがり絶頂期ですね。

当時ちょっとインテリなシネフィル(・・と卑屈な俺は決め付けてた)と対話するたび、直接的にハッキリ言われた訳じゃないけど君はゴダール様の魅力が何一つ理解出来てないね的な上から目線の蔑みを常に感じてた。まあ実際に理解出来なかったから仕方ないのだが。そんな訳で分からないけど分かったフリして周囲に吹聴してた。とは言え分からない人間のまま終わってしまうのはイヤだから気狂いピエロなんか学習塾にでも通う感覚で劇場へ7-8回観に行った覚えがある。その直後に公開されたゴダールのマリア、ゴダールの探偵は封切り直後に観たけど率直な感想を述べるとマジ分かんね!

それでも分からん監督と切り捨てられなかった理由は、敬愛して止まない映画監督や批評家のゴダール愛に溢れる記述に触れて感銘を受けたから。気狂いピエロのリバイバル公開時のパンフにある大森一樹監督のゴダール賛歌や山田宏一さんの名著、友よ映画よを読んでしまうとゴダール作品を理解したい!俺も魅了されたい!と思わずにいられなくなる。

結局俺は20本ぐらいのゴダール作品を観たのかな。やはり分からない作品は分からないけど、勝手にしやがれが当時の映画界に与えた衝撃は充分に理解出来た。俺が生まれる前の話だから想像するしかないのだが、それでも勝手にしやがれの冒頭5分間で映画業界人が顔面蒼白になった事は容易に想像が付く。長年に渡り映画業界が培ってきた映像表現の形式を完全に破壊した上で大衆の支持を欲しいままにした訳だから、そりゃオールドタイプは慌てふためくでしょ。

現代に置き換えれば自由奔放な表現スタイルで圧倒的な再生数や巨万の富を得るユーチューバーと、それに翻弄されるテレビ業界人の関係に近いかも。古いテレビの慣習ではタブーとされてきた同ポジ繋ぎやジャンプカットの応酬で揺るぎない支持を得てるんだから彼等こそ現代の映像業界に於ける新しい波だよ。それを62年前に映画界で成し得たヌーヴェル・ヴァーグ恐るべし。

一時期は手元にゴダール作品の録画データが10本近くあったのだが全然観ないので少し前に整理しちゃって、今残ってるのは勝手にしやがれと気狂いピエロだけ・・かと思いきや探偵とメイドインUSAと初期短編集(男の子の名前はみんなパトリックっていうの、水の話、シャルロットとジュール)が残ってた。短編はちょっと観返したいな。特にシャルロットとジュールはゴダール作品にあるまじき明瞭な面白さ(・・でありつつ映像スタイルはTHEゴダール)の傑作だから今宵はこれ観て鬼才を偲びますか。

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