PANTAの追っかけ時代
俺、全然知らなかったけど2/6に頭脳警察とシナロケの対バンが予定されてたものの鮎川誠さんの体調が優れず頭警のワンマンライブへ変更(その矢先に鮎川さん逝去)。更にPANTAさんも体調を崩して公演自体が中止になってしまったらしい。日本ロック黎明期のヒーローたちが病に倒れていくのは寂しい事この上ないが皆さんご高齢だからなぁ。俺だって棺桶に片足突っ込んでるし、これはもう仕方ないのかも知れない。
俺が最後に頭脳警察のライブへ参戦したのは2013/6/21か。もう10年近く前になるんだな。あの時のライブも素晴らしかったけど、病み上がりのPANTAさんはハイスツールへ常に腰掛けた状態で、やはり言いようのない寂しさに苛まれた。仕方ないけど割り切れない。何しろ俺は血気盛んだった事のPANTAさんのライブに幾度となく足を運んだからね。
今手元に残ってるPANTAさん絡みの半券はこれだけ。でもこれが全てじゃない。日清パワステには最低でも4回行った筈だし大宮フリークスにプチ遠征した時のチケットも残ってない。ああいう小規模なライブハウスでは半券自体渡されなかった可能性もあるな。
とにかく追っかけレベルでPANTAさんのライブへ足を運んだのは1988-1990年。俺は23-25歳でPANTAさんは38-40歳。俺もPANTAさんも若かったなぁ。で、以前からよく書いてるけど1990/6/15の頭脳警察再始動ライブで騒ぎ過ぎて酸欠になり、体力の限界を感じて暫くライブハウスから足が遠のいてしまう。そうそう、帰り際の出口付近にアナーキーの寺岡さんとコバンが居て妙にアガった事を思い出した。
当時のライブハウスはチェックが緩かったからカメラを持ち込んで撮影もしたっけ。銀塩の一眼レフから始まり、後にシネ8mmへ持ち替えたり。撮影クオリティは最低だけど当時の熱量がそのまま真空パックされてるから今観ると懐かしい。30年以上前の話だし二次利用とかは一切してないので大目に見てね。
で、ライブとは別に今もやたら印象に残ってるのが、どのライブ会場へ足を運んでも必ず居た常連たちの事。多分ファンクラブの会員か何かだと思うけど、何時も和気あいあいと楽しそうで、恐らく終演後は何処ぞの飲み屋で盛り上がるんだろうなぁ、羨ましいなぁと思いつつ、人見知りで常にぼっち参戦の俺は一人寂しく電車へ乗り込み、嗚呼今日のPANTA良かったなぁとかブツブツ言いながら帰路へ就いた。
結局、この歳になって匿名掲示板で名無しに呼び掛けてパフュ飲みやベビメタ飲みを繰り返すのはあの時の反動なんだと思う。ただね、PANTAさんや頭脳警察のファンって思想の偏向してる人が多いから、勇気を振り絞ってあの人たちの輪へ加わり飲みに行ったところであんまり楽しめなかったかも知れんな~と思ったりもしてる。まあ、やっかみ半分だけど。
« 毎年恒例の年明け健診だが | トップページ | Led Zeppelin - Train Kept A Rollin (Texas 31/8/1969) »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント