読み始めたのが12日からなので2週間で全9巻読了か。やはり個人的には未来編がNo.1で次点が鳳凰編。その後に書かれた太陽編が未読ではあるものの、前記2編を凌駕する作品とは思えないので気が向いたら読む事にする。
それとアマプラで2004年制作のアニメ版が観られるので未来編だけ観たら、これはちょっと申し訳ないけど全然乗れなかった。あの壮大な物語を映像化しようと思ったら最低でも2時間半は必要なのに、50分程度へ詰め込んでるから劇場版あしたのジョー並にダイジェスト然としてて何が何やら。とは言え映像作品って時間経過の描写では表現媒体的に不利という事も否めず。マンガの方ではたった1ページで5千年の時間経過が描かれ、しっかり成立してたりするので。勿論、手塚先生の表現力ありきだが。
その流れで浦沢直樹さんのPLUTOが読みたくなってヤフオク入札したり、これまた未読のマンガ版鉄腕アトム全巻入手を目論んでたり。今は手っ取り早い所で新書版ブラックジャックを読み返したりwebで情報収集したり。しかし公式サイトの全作リストをチェックすると新書版の時点で連載順と収録順が全く異なる事がよく分かる。作者本人の希望か編集部の意向なのかは知る由もないけど、短期連載予定だった1-5話だけ連載順と収録順が一致してて後はもうバラバラ。そして各巻の最終エピソードに傑作が集中してる。
リアルタイムで連載を読んでた世代として僭越ながら言わせていただくとブラックジャックって全エピソードが傑作という事はなくて失敗作も多い。そりゃそうでしょ。漫勉でも驚異のエピソードとして紹介されるけど当時の手塚先生は6作品の連載を掛け持ちで執筆し、1ヶ月に18もの締め切りを抱えてたと言うんだから1話完結のブラックジャックにやっつけ仕事が含まれてしまうのは致し方ないところ。で、そういう作品は収録が見送られ、連載終了後の読み切り作品を単行本化するにあたり穴埋め目的で蔵出しされるパターン。だから新書版21-25巻は失敗作比率が高い。
とは言え、そんな過酷な現場で数多くの傑作を生み出してきた事の方が驚異的で、今も忘れ得ぬラストカットは沢山ある。思い付くままに私的ベスト3を挙げると、
復しゅうこそわが命(新書版19巻 第182話)
二度死んだ少年(新書版2巻 第17話)
上と下(新書版12巻 第114話)
先の全作リストを参考にすると連載順では復しゅうこそわが命は第231話で連載終了後の読み切り作品、二度死んだ少年は第18話、上と下は第161話という事になってる。これが手塚治虫漫画全集になると更にシャッフルされるので全貌が掴み難い。
さておき上記3エピソードのラストカットに共通するのは台詞やモノローグがなく、1枚絵だけをポンと提示して読み手へ深い余韻を残す点。特に復しゅうこそわが命なんてエピソードそのものは大して刺さらなかったのに、ラストカットを見ると無条件で泣ける。初めて読んだのは中学か高校の頃で、当時からパブロフの犬状態で涙腺が緩む。読んだ人なら分かると思うけど、これは映像化も小説化も不可能。マンガならでは、マンガにしか出来ないマンガ表現の境地。強引な言い方をするとあしたのジョーのラストカットと同一線上の方法論で作り出されたカットだと個人的には思う。
【追記】
webで得た情報によるとこのエピソード、加山雄三のブラックジャックで映像化されてるのね。無謀というか何というか・・
二度死んだ少年のラストカットもグググッと来る。無言で佇むブラックジャックは果たして刑務所の塀を睨んでいるのか哀れんでいるのか、その答えを読者へ委ねたまま物語は幕を閉じる。上と下のラストカットもヤバいほどハートに刺さる。見開きとかじゃない小さな一コマなのが逆に良い。
ブラックジャックのみならず手塚作品って台詞の無いラストカットで読者のハートを掴むパターンが多い。漫勉での浦沢さんの言葉を借りれば読者を信頼するスタンスですか。この表現で伝わるだろうと。だからこそメッセージが伝わった時の感動も大きいんだと思う。昨今のバラエティ番組とか過剰な程にテロップを多用してるけど、結局あれって視聴者を全く信頼してない手法だから俺みたいなオールドタイプの受け手には刺さらないんだろうな。