2022年10月20日 (木)

追悼 仲本工事

長さんみたく病気ならまだしも、ガキの頃のヒーローが感染症や事故で逝ってしまわれるのは本当に辛い。高木さん加藤さんにはくれぐれも体にお気を付けて余生を送っていただきたいと切に願うのみ。

仲本さんと言えばコント以上にスポーツマンとしての印象が強い。全員集合後半コントの体操コーナーでの立ち振る舞いや最後の決めポーズがカッコ良くてねぇ。小学校の体育の時間で随分と真似したっけ。その運動神経が最大限に発揮された傑作コントがあり、YouTube検索したらアップされてたので埋め込みリンク貼らせていただく。

構成も見事だけど何と言っても最後の締めが素晴らしい。仲本さんは注さんを蹴っているように見せかけて足の裏で押してる。それに対する注さんの派手なリアクションが無条件で観る者の笑いを誘う。名人芸と言うより正に職人芸。今宵はこの動画や手持ちの全員集合やドリフ大爆笑の録画データをリピートしつつ偉大なるコメディアンを偲ぼうと思う。

2022年9月13日 (火)

追悼 ジャン=リュック・ゴダール

ヌーヴェル・ヴァーグの旗手ゴダールの訃報が流れた。享年91。まだ死因が分からないけど盟友フランソワ・トリュフォーの逝去が1984年10月(享年52)だから大往生と言っても差し支えないのでは。

この歳になってカッコつける必要がないのでぶっちゃけて言うけど正直ゴダール作品の大半は敷居が高くて俺には理解不能でした。しかしながらゴダール分からんとは口が裂けても言えない時代を生きてきた人間なのでその辺の思い出話なんぞを。

俺が初めてゴダールという映画監督の存在を知ったのは奇しくもトリュフォーが亡くなった1984年頃。1968年の五月革命以降商業映画の世界に背を向け極めて政治的な短・中編作品ばかりを打ち出し続けてきたゴダールが79年に勝手に逃げろ/人生で商業映画へ復帰し、82年制作のパッション、83年制作のカルメンという名の女が日本でも単館上映。それに併せ気狂いピエロがリバイバル公開され一部シネフィルの間で盛り上がりを見せていた頃。俺様は若干18歳。背伸びしたがり絶頂期ですね。

当時ちょっとインテリなシネフィル(・・と卑屈な俺は決め付けてた)と対話するたび、直接的にハッキリ言われた訳じゃないけど君はゴダール様の魅力が何一つ理解出来てないね的な上から目線の蔑みを常に感じてた。まあ実際に理解出来なかったから仕方ないのだが。そんな訳で分からないけど分かったフリして周囲に吹聴してた。とは言え分からない人間のまま終わってしまうのはイヤだから気狂いピエロなんか学習塾にでも通う感覚で劇場へ7-8回観に行った覚えがある。その直後に公開されたゴダールのマリア、ゴダールの探偵は封切り直後に観たけど率直な感想を述べるとマジ分かんね!

それでも分からん監督と切り捨てられなかった理由は、敬愛して止まない映画監督や批評家のゴダール愛に溢れる記述に触れて感銘を受けたから。気狂いピエロのリバイバル公開時のパンフにある大森一樹監督のゴダール賛歌や山田宏一さんの名著、友よ映画よを読んでしまうとゴダール作品を理解したい!俺も魅了されたい!と思わずにいられなくなる。

結局俺は20本ぐらいのゴダール作品を観たのかな。やはり分からない作品は分からないけど、勝手にしやがれが当時の映画界に与えた衝撃は充分に理解出来た。俺が生まれる前の話だから想像するしかないのだが、それでも勝手にしやがれの冒頭5分間で映画業界人が顔面蒼白になった事は容易に想像が付く。長年に渡り映画業界が培ってきた映像表現の形式を完全に破壊した上で大衆の支持を欲しいままにした訳だから、そりゃオールドタイプは慌てふためくでしょ。

現代に置き換えれば自由奔放な表現スタイルで圧倒的な再生数や巨万の富を得るユーチューバーと、それに翻弄されるテレビ業界人の関係に近いかも。古いテレビの慣習ではタブーとされてきた同ポジ繋ぎやジャンプカットの応酬で揺るぎない支持を得てるんだから彼等こそ現代の映像業界に於ける新しい波だよ。それを62年前に映画界で成し得たヌーヴェル・ヴァーグ恐るべし。

一時期は手元にゴダール作品の録画データが10本近くあったのだが全然観ないので少し前に整理しちゃって、今残ってるのは勝手にしやがれと気狂いピエロだけ・・かと思いきや探偵とメイドインUSAと初期短編集(男の子の名前はみんなパトリックっていうの、水の話、シャルロットとジュール)が残ってた。短編はちょっと観返したいな。特にシャルロットとジュールはゴダール作品にあるまじき明瞭な面白さ(・・でありつつ映像スタイルはTHEゴダール)の傑作だから今宵はこれ観て鬼才を偲びますか。

2022年4月 8日 (金)

追悼 藤子不二雄A

御年88との事だから大往生と認識してるけど、やはり我々の世代的に寂しさを拭いきれず。藤子作品のない少年時代など考えられないし、その作品群は何時も隣に寄り添ってくれたからね。偉大なる巨匠の功績に敬意を表し合掌。しかし相棒のF先生が逝去されたのって四半世紀以上前なのか。その事の方が衝撃的だったりする。

藤子不二雄さんが二人体勢だという事は自伝マンガ等に触れガキの頃から知ってたけど、同名義の完全分業でやってた事は随分後に知った。子供にそんな裏事情なんぞ理解出来ないから藤子先生は作品によってこんなにも作風を使い分けられるのか!大天才だ!!とか思ったりしてた。

F先生はドラえもんに代表される子供向けファンタジーの大道、A先生は笑ゥせぇるすまんに代表される大人向けブラックユーモアってのが定説だけど、これはまあ間違いのない所だと思う。いずれも素晴らしい作品群なれど、印象度という点ではA先生の作品が一歩抜きん出てる感がなきにしも非ず。

忘れられない魔太郎がくる!!のエピソードがある。俺の記憶に間違いが無ければ読んだのは千葉に家族で海水浴へ行った9歳の時。お世話になった民宿に置いてあったボロボロの少年チャンピオンで、魔太郎が当時大人気だったブルース・リーのTシャツを着てたらいじめっ子に強奪されてしまう。その後、今度は筋肉柄のTシャツを奪われたか進呈したか記憶が曖昧だけど、とにかくその不気味な筋肉Tシャツがいじめっ子の手に渡る。で、それを着たいじめっ子は魔太郎の呪いによって全身筋肉剥き出しの怪物へ変貌してしまう。それで唐突におしまい。オチもクソもなくカットアウト。これが気持ち悪くて後味最悪で、クソジジイになった今も鮮明に覚えてる。たった1回、民宿にあった古雑誌を読んだだけなのに。

F先生の作品は綺麗にオチが付きエンドマークが出ておわりってのが多いけど、A先生の作品はとにかくカットアウトが多い。先の魔太郎にせよ笑ゥせぇるすまんにせよズバッ!と終わるから復讐劇にも関わらずカタルシスは皆無で、ドロドロした印象が何時までも尾を引く。しかもそれを計算づくでやってる。嗚呼、才人だなと改めて思わされる。

こんな事を書いてたら、あのドロッとした感触を久々に味わいたくなった。そうなると魔太郎が最適だろうな。こ・の・う・ら・み・は・ら・さ・で・お・く・べ・き・か!!

2022年1月17日 (月)

追悼 水島新司

巨星堕つか・・ でもお年だから仕方ない部分もある。水島先生の長年に渡る功績を讃え合掌。そして個人的な思い出話なんぞを。

実は俺、ちゃんと読んだ水島作品はドカベンだけだったりする。あとはラーメン屋とかに置いてあるあぶさんを少し読んだぐらい。ちなみにあぶさんって日本酒か焼酎の銘柄だと思ってて、それがアルコール度数90%近い強力なリキュール酒アブサントに由来する事を知ったのは随分後の話。

俺が初めて週刊少年チャンピオンでドカベンを読んだのは確か小四の時だったか。優勝旗盗まれたり山田が記憶喪失になったりの頃。面白いんだけど登場人物の背景とかがよく分からなくて少し掘り下げたくなり、古本屋で最初に買ったのは15-6巻。甲子園の土佐丸戦ね。これで夢中になり、1巻から読み始めたら6巻までは柔道マンガだったという。

これ、確固たる長編構想があったとしても人気が出なければ柔道マンガで完結してた可能性もある訳で、大胆な事するなぁと子供心に思った覚えがある。まあ柔道編も面白いっちゃ面白いし、ここでライバルたちとの基盤が出来上がるから重要ではあるものの、飽きっぽいガキなので野球マンガ読みたかったのに柔道マンガに付き合わされて肩すかし食らった感は否めなかった。

でも本来の野球マンガになってからは文句の付け所がないほど夢中で、弁慶高校に敗れる辺りまでは毎週欠かさず読み続けた。それまで野球マンガと言えばプロを題材にした魔球物が主流だったもののドカベンは極めて現実的な高校球児たちのドラマ。そこにリアリティと親近感があり、なおかつ選手たちの活躍ぶりと躍動感溢れる画がカッコよくて魅力的。もう野球好きで単純バカな映ちゃん少年は完全にハートを掴まれてしまった。

追悼文にもよく見られるけど水島先生の野球マンガにはルールブック的な側面もある。俺がドカベンで知ったルールのひとつがインフィールドフライ。ランナーが居る時に内野フライを捕球せずワンバウンドさせるフォースアウトダブルプレイ狙いを抑止する為、捕っても捕らなくてもアウトカウントとなる。野球って意外にこういう複雑なルールが多いから、それを分かり易く教えてくれたという点でも水島作品の功績は大きい。

あと水島先生で印象的なのはフィンガー5のジャケットイラスト。画像検索するとデビューシングル個人授業で既にイラストを担当してる。当時はまだ巨匠という立ち位置じゃない筈だからアルバイト的スタンスだったのかね。

残念ながら手元には水島作品が1冊も残ってない。でも今日ぐらいは故人を偲んで何か読みたい気分。BookOffであぶさんでも買ってくるかな。

2021年3月24日 (水)

追悼 古賀稔彦

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平成の三四郎も病には勝てず、か。バルセロナ五輪での雄姿はリアルタイムで拝見し心底感動させられたものです。偉大なる柔道家・古賀稔彦さんよ永遠なれ。R.I.P.

ちなみに画像の近代柔道1992年9月号、以前も旧サイトで公開したけど古賀・吉田両選手の金メダル獲得と世田谷学園柔道部全国制覇の合同祝賀会が催された某宴会場でたまたまビデオカメラマンとして常駐してた頃、僅かなスキを見計らい古賀選手にサインをいただいた物。会場の宴会責任者に見つかったら説教じゃ済まなかったと思うけど、記録撮影を任された時点で何がどうなってもサインを貰うんだという欲求に支配されてしまった。結果、宴会場のスタッフにバレる事なく念願のサインを手中に収める事が出来たので当時の愚行も今となっては英断だと思ったりしてる。

古賀選手はアスリートとしては勿論のことコメンテーターとしても一流で、解説者としての名調子に触れれば明白。で、俺にとって最も印象に残ってるのは金メダル獲得直後のインタビュー。

ウェイトオーバーの状態でバルセロナ入りしトレーニングで試合日までに絞り込む予定が怪我でトレーニング出来なくなり、ほぼ断食に近い日々を強いられる事になったんだと。で、古賀選手曰く、1日飲まず食わずだと1kg落ちるので、そこから逆算して試合日までの飲食物を制限し71kg級の計量をパスしたらしい。すげえなぁ。矢吹・力石に匹敵するダイエッターの鑑・・

2021年3月16日 (火)

追悼 大塚康生

大塚康生さんと言えば、ルパン三世? 未来少年コナン? いやいや、俺にとってはこれしかない。蛮ちゃんの躍動感溢れる投球フォームに酔いしれつつ巨匠を偲ぶ。R.I.P.

【追記】
今まで気にした事なかったけど王者・侍ジャイアンツで理香が駆る単車、簡略化されてるものの紛れもなくKawasaki250A1サムライじゃねえか! さすが大塚さん、わかってらっしゃる!!

2020年7月 6日 (月)

追悼 エンニオ・モリコーネ

モリコーネ大先生が永眠されたとのこと。91歳とご高齢なので仕方ないとはいえ、怪我で亡くなられたという話なので出来る事なら老衰とかで大往生して欲しかった。

モリコーネさんと言えばニーノ・ロータと並び称されるイタリア映画音楽界の大巨匠。マカロニウエスタンのムーブメントを屋台骨から支え、手掛けた作品は星の数。その中で個人的に今夜聴きたい曲を1つ挙げるとすればこれ。

観る人が観ればすぐ分かると思うけど、拙作スケ番ハンターズ地獄の決闘ではこのシーンをあからさまにリスペクトしてる。音楽を担当していただいた元太郎君にも原曲を何度も何度も聴いてもらったっけ。そこはかとなく漂う哀愁と遊び心が共存した巨匠ならではの佳作。世間的にはもっともっと知名度の高い楽曲が沢山あるけれども、今夜はこれを聴きながら偉大なる音楽家を偲ぼうと思う。

2020年3月31日 (火)

追悼 志村けん

俺ら世代にとってドリフは神に等しい存在だった。Wikiで時系列を辿るとカトちゃんのチョットだけよが1972年で俺は6歳、志村さんの東村山音頭が1976年初頭で俺は9歳か。正に直撃世代と言っていい。

正直言うと荒井注さんからけんさんへの交代劇に違和感を拭い切れずドリフ離れを起こした時期がある。ところが同級生から志村の東村山音頭がすげえ面白いんだぜという話を聞き、観たらホントに面白くて、当時は家庭用ビデオなんて無かったからテレコをテレビのスピーカーに密着させて録音を試みたものの1丁目でどうしても笑いを堪え切れず、俺のバカ笑いが共に記録されてしまう有様。

今の世代が懐かしの番組紹介なんかで東村山音頭を観ても爆笑する事は恐らくないだろうな。でも当時のガキ共にとっては超どストライクで毎週毎週アホみたいに笑った。時には前半コントのオチがツボにハマり過ぎて文字通り死ぬほど笑い転げた。もう息が出来なくてホントに死ぬかと思ったわ。今でも鮮明に覚えてるのは前半コントが終わりゲストの歌・CF・明けてゲストの歌が終わり少年少女合唱団のコーナーが始まっても笑いが収まらないの。時間にして10分以上。あれは正真正銘の必殺ギャグだった。

視聴率低迷で全員集合が終わりカトケンヘ移行。初めのうちは観てて辛い部分もあったけど徐々にペースを取り戻した印象で、だいじょうぶだぁ教の辺りになれば全員集合と比較しても遜色ない面白さ。後にTBSを離れCX系で志村さんの冠番組、志村けんのだいじょうぶだぁがスタート。この番組が大好きで、俺も立派に成人してたクセして時にはガキの頃みたく笑い転げた。特に俺のツボを直撃したのが身長180cm以上で腰が低い男のネタで、あの時も10分近く悶絶したっけ。マーシーや桑マン、いしのようこさんや松本典子さんとの息が合ったコントも素晴らしかったなぁ。

長さんや注さんが逝った時もショックだったけど、今回はケースがケースだけに絶句するしかない。ただもう志村さん、長年に渡りお笑い芸で俺の人生を豊かにしてくれてありがとうございましたとしか言いようがなく。全員集合や志村さんの冠番組から俺好みのコントを抜粋して作った私的傑作選の録画DVDが10枚以上あり、今は悲し過ぎて観られないけど一生の宝物なので、気持ちの整理が着いた頃に再見し故人を偲びたいと思う。

偉大なる喜劇王に心からの感謝を。R.I.P.

2018年12月 8日 (土)

嗚呼ジョン

先のつぶやきをアップして気付いたけど今日はジョンの命日じゃないか。

たまたまテレビでぴったしカンカンを観てて、久米宏氏が発したジョン・レノン射殺の報に触れ目の前が真っ暗になった・・つーか、ビートルズ再結成の可能性が木っ端微塵に吹き飛ばされ失意のどん底へ叩き落とされた事を今も鮮明に覚えてる。

俺がビートルズの洗礼を受けロックに傾倒したのは忘れもしない1978年。プリーズ・プリーズ・ミーやラヴ・ミー・ドゥがCFで引用され、1966年の来日公演が日テレで再放されたりして再ブーム的な盛り上がりを見せてた頃。

バンド解散が1970年だから僅か8年後か。勿論メンバーは全員健在で、当時はビートルズ再結成の可能性がゼロに等しかった事も今なら容易に想像出来るけど、大人の事情なんぞ一切知らず理解も出来ないガキにしてみれば復活を夢見てしまうのは仕方のない話。しかしながら事実上リーダーだったジョンが逝ってしまえばTHIS IS THE END ビューティフル・フレンドですわ。

あれはTBSラジオで毎週楽しみにしてた西田敏行さんのパック・イン・ミュージックが放送される日。深夜1:00に西やんパックが始まり、パーソナリティーたる西田さんの第一声より前にドント・レット・ミー・ダウンが流れ始め、その日はジョンの追悼放送となった。

あれから早や38年。光陰矢の如し・・

2018年8月28日 (火)

追悼 さくらももこ

この件に関しては沈黙を守ろうかと思ったりしたものの夜は長いし、夜勤続きで全然眠くないので俺なりの追悼文を書く事にする。しかし少し前にも書いた通り往年の名優さんの訃報なら素直に受け入れられるけど、年下や同世代の優れたアーティストやクリエイターの訃報は心底堪える。

それに西城秀樹さんや、さくらさん同様に乳がんで逝去された水谷優子さん(まる子の姉ちゃんを演じた声優さん)の訃報に触れた時は既に闘病中だった筈で、その胸中を察するに言葉を失うしかない・・

さておき、俺がさくらももこさんの代表作ちびまる子ちゃんの存在を知った時期は世間的な大ブレイクから少しズレてて踊るポンポコリンが大ヒットし巷で流れまくった頃。この妙な歌は一体何だ??と思いつつ調べたらTVアニメのEDテーマだという情報を得て、試しに一度観たのが始まり。

その時たまたま観たのはまる子が商店街の福引きで当てた南の島ツアーに1人で参加するエピソード。これがやたらハートに突き刺さり、ちびまる子ちゃんという作品と原作者さくらももこさんの名前が強くインプットされる。

それから間もなく原作本(当時は6巻まで刊行)を買い込み読破。これがアニメ作品以上に素朴ながらも魅力的で一時期かなり傾倒した。ベストセラーになったエッセイ本も買って繰り返し読んだっけ。

ただ7巻以降は明らかに作風や絵のタッチが変わってしまい、初期ほどの魅力を感じられなかったので原作を買い続ける事はしなかった。今にして思えば丁度この時期アニメ作品の放映が始まってるので、恐らくは作者本人も予想だにしなかった大ブレイクによるプレッシャーが作風へ強く影響したんだろうな。

遙か昔エッセイ本と共に原作本も手放してしまい、今手元に残ってるさくらももこ関連作品はこれのみ。

何年か前イオンで見かけて買った食玩のDVD。収録作は前記のまるちゃん南の島へ行くの巻、前編・後編。これ、秀作ではあるものの終わり方が切ないのでヘビロテした事は無い。でも今夜だけはさくらさんを偲んで久々に観返そうかと思ってる。

敬愛なるさくらももこさんに哀悼の意を表し R.I.P.

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